夢を見ました。

夢を、見ました。ただ、夢と言っても、僕はとても現実的な体験をしたかのような疲労感を体に残したまま覚醒をしたので、夢ではないかもしれません。事実かどうかを確認することもできなければ、否定できる根拠もないので、夢とも現実とも区別のできない奇跡の時間を体験できたわけです。でも、僕としては現実の出来事として認識していたいのです。なぜなら、海を見たから。

 

海を見ました。僕の出身は海のない県なのですが、その時の僕はノスタルジーで満たされていて、目は朝日の反射で煌めいていて、口元はニヒルを帯びていました。何の目的もなく砂浜を彷徨っていました。他に人はいないので、早朝の砂浜を独り占めしているようで、気分はいくらかよかったです。さっき自販機で買った割高なコカ・コーラを片手に、時折口に流し込むなどをして、ふらふらと歩いておりました。嗅ぎなれない潮の香りも、歩きなれない浜辺も、チカチカと眩しい大海原も、なぜか全てが懐かしい。

 

少女を見ました。少女と言っても、大学生と言い張れば大学生、高校生と言い張れば高校生、少し無理をしてガーリィな格好をすれば中学生にも見えそうな年齢不詳な少女がいました。少女は手ごろで大きめな流木に腰かけていました。なにかのロゴが入った白いTシャツ、水色のショートパンツ、緑色のクロックス、赤い縁のメガネ、ヘアゴムで一本に縛られた髪。非現実的に華奢でかわいい顔をしていて、全体的に均整の取れた肢体をしている。その少女の前を横切らなければなりません。元来、異性が苦手な僕は、自然と不自然なまでに緊張してしまいます。その心理状況が外に出ないように細心の注意を払って砂を踏みしめる。

 

少女と目が合いました。僕の懸命な抵抗、その程度の反抗では太刀打ちできませんでした。それほどに少女は僕の心を惹きました。少女は僕を手招きしてきます。不出来な僕に話しかけてくれる女性など存在しないと思っていたので、物珍しさと淡い期待を胸に、少女の方へと向かいます。少女は、僕を「少年」と呼び、あまりに余っている流木に座らせます。まま図体の大きい僕が”少年”と呼ばれるということは、この少女は恐らく年上なのだろうということを察しました。近くで見ると、より美しく目に映ります。張りのある肌、艶やかな髪、ぷっくりとした唇、小さい鼻、凛々しい眉、すくっと伸びる色白な脚、今にも折れそうな鎖骨、ダサいTシャツ、明らかに部屋用のメガネ。少女は、現実離れした様でありながらも、正確に現実の中で生きていました。

 

「どうしたんですか。」僕は問う。「なかなか寝付けなくてさ。」少女は返す。「僕もです。」僕も返す。「そうなんだね。」少女が返し、あいさつ代わりの他愛ない会話が終わる。「吸えるかい。」少女が問う。「何をですか。」僕は返す。「何って、これさ。」少女はショートパンツのポッケに左手を突っ込んで、少しへこんだキャメル・メンソールと100円ライターを差し出す。「もう辞めたんです。」少しためらいながらも、僕は返す。「少年、時には再び始めることも大切なのだよ。」偉そうな顔で少女が答える。「じゃ、1本だけ。」少女の可憐さに免じる。(断じてタバコの誘惑に負けたのではない。)「ふふん、よろしい。」得意げに手首のスナップを利かせて、2本のタバコを箱から出す。「どうだい少年、久しぶりのおタバコは。」少女は海を眺め、煙をくゆらせながら聞く。「少し、のどが痛いです。」僕も海を眺め、煙をくゆらせる。

 

それからも僕たちは他愛のない会話を続けました。なんで寝付けなかったのか、どうしてタバコを吸うのか・辞めたのか、好きなもの、嫌いなもの、最近のアニメのこと、面白かった映画のこと、僕たちは大学生で歳がほとんど変わらないこと。(僕は21、少女は23。) 異性が苦手な僕でもつらつらと話が進んでいくので、隠れた才能があるのではないかと錯覚してしまいそうになりますが、恐らく偶然に少女の性質と馬が合っただけなのだと、勘違いの加速にブレーキをかけることにしました。談笑の合間に、彼女は2本目のタバコを求めてポッケに手を伸ばします。同時に僕は、腕時計を確認します。午前6時。

 

「時間が気になるのかい。」少女が聞く。「うん、でもまだ一緒に話していたい。」僕は本心で返す。「今、何時かな。」少女が聞く。「午前6時。」僕は返す。「ああ、そろそろ帰らないとね。」少女は惜しむ様子を見せながらその言葉を言う。「まだ時間はある。」僕はまだ話していたいので、引き留めようとする。「でも、もうすぐこの浜辺は、私たちだけのものじゃなくなる。」少女は言う。「それだっていい。まだ話をしていたい。」僕は駄々をこねる。「私は、君と2人だけの静かな砂浜で、2人きりの密かな談笑に、特別な心地良さを持っていたいんだ。」少女は諭す。「僕もそう思いたいけど、まだ一緒にいたい。」僕は返す。「少年、これ以上楽しい浮世離れした時間が長引いてしまうと、それは忽ち現実になってしまって特別ではなくなってしまうよ。だから、もう帰るんだ。」少女は諭す。「うん、僕もそう思えてきたよ。」僕は返す。「ふふん、よろしい。」少女は腰を上げ、ショートパンツについた流木の破片を落とす。「次は、いつ会えるのかな。」僕は問う。「”次”か。少年、奇跡に2回目を求めないことだ。まぁ、前向きに言うとすれば、忘れたころにまた会えるさ。」朝日を浴びながら少女は答える。「忘れないよ。あなたのことは。」僕は真剣なまなざしで答える。「ふふん、よろしい。また会おう。」

 

ドンッ

 

彼女に押され、流木に座っている状態から後ろに倒れた。

 

 

はっと目が覚めました。周囲を見渡すと、いつもの天井、汚い床、散らかった机。僕は僕の部屋で起きました。これは夢ですが、夢ではありません。夢だという確証も夢ではないという確証もないからです。でも、僕の胸には確かに、少女の手で押された感覚が残っているような気がしています。だからと言って、それが夢ではないということを立証するための確実な証拠とは言えないでしょう。わかっている確かなことがあるとすれば、僕は2回目の軌跡を永遠に待たなければいけない、ということです。