死は救済 人生は死までの暇つぶし では、死に価値は?

タイトルはテキトーです。テキトーに生きている人間なので。そんな僕が、祖父の死から考えた生きる意味・死の価値を書いていきたいと思います。

 

皆さん(まあ、読んでくれる人はいないでしょうけど)は、”生きる意味”とか”死の価値”を考えたことはありますか?余程のノー天気ではない限り考えたことはあると思います。だからと言って、考えたことのない人がノー天気の大馬鹿だとは言いません。だって、考えるも考えないのも人それぞれなんですから。それに、そんなことは考える必要もありません。無駄です。

 

ただ、ちょこっと考えとくと、家族を大切にしようとかお年寄りを大事にしようとか、もうちょっと身の振り方を考えてみようとか思えるようになったりします。まあ今のご時世、そんなことですら不必要と切り捨てる人も多いと思います。だからこそ、僕は考えたのかもしれません。

 

さて、祖父の話の前に、なぜこんなことを文章に似た何かにしようかと思ったのかといいますと、最近、”死”をもって終劇となる物語を読んだことが大きいです。それで、「そういえばこんなことを考えていたなぁ」と思い立ったので、書いてみようと思いました。

 

さて、ここからは、祖父の死から、なぜ(タイトル)のようなことを考えたのかを書いていきたいです。高校3年生の時は、所謂「悟り世代」の代表のような無気力なやつでした。女は敵、義務感じみた気持ちで続けていた部活、惰性でやる勉強、相反してインターネットには全力。それが僕です。あらら、今と変わりませんね。そんなんだから毎日は全然楽しくありません。もちろん、生きる意味を見出せずに、死にたくなってきます。おまけに6月。季節は夏。永遠の5月病を引きずりながら、押しつぶしてくる日差しに2本の足で耐えながら、猛暑を生きていました。憂鬱な日々をかろうじて過ごしていた時に、祖父は倒れました。長くないのはわかっていましたが、いざその時が来ると、辛くなってしまいました。おおらかで、偉大で、大好きな祖父が倒れて入院。でもまだ入院だろ?すぐに元気になってくれる、とも思っていました。しかし、老いと時間と死神は待ってくれません。入院してからは、1週間と過ぎずに亡くなってしまいました。そこからの時間の流れは異様に早かった気がします。世帯主のアレとか、いろいろの名義の変更とかで役所に行ったり来たり、葬式やお通夜の手続きだとかで、大忙しでした。

 

そして、お葬式当日。そこには、親戚や祖父の知人など大勢の人が来てくれました。電報も含めると、かなりの数です。僕の知ってる人、知らない人、とにかくたくさん来てくれました。そして、式が始まり、喪主である父が弔辞を読み、お坊さんがお経を唱えて、故人を見送ります。清々しい笑顔で見送ってくれた人もいれば、泣いてくれた人もいます。どんな見送り方でも、あの時はうれしかったです。

 

祖父の葬式、お通夜、その他がひと段落し、また日常に戻ります。そこからも僕は考えていました。初めて、身近な人を亡くし、初めて葬式に参加しました。そこから、1つの答えに辿り着いたと思います。

 

まず、生きる意味は元々ないということです。ここまで身を削った話題をわちゃわちゃと書いてきたのに、これです。でも、これは本当にそう思いました。生きる意味はないです。ただ、もう1つ、死がその人の人生に意味を後付けしてくれる、と考えました。特に根拠だったり、有名大学の研究結果などの参考文献はありません。僕個人の考え方なので、あまり信用(?)しないでください。

 

「生きる意味は元々なく、死は人生に意味を与えてくれる。」と、書き換えるならこんなところですかね、もっとカッコよくまとめられそうな人いたら教えてください。話を戻しますと、祖父の葬式でこのような考え方になりました。なぜなら、葬式には、家族親戚はもちろんのこと、なにかしら祖父と繋がりがある人たちがたくさん来てくれて、皆快く見送ってくれて...昨日のように浮かぶその光景は、祖父の人生が作り上げたものです。そこで、生きる意味なんてものは生きている内にはわからない。死んでから、誰が悲しみ、別れを惜しんでくれるか、涙を流してくれるか、ということで意味付けされるんじゃないかなーーと思いました。

 

長々と、若造が偉そうに失礼しました。つまり何が言いたいかというと、死ぬな。生きろ。希望はどこにでも転がっているし、どこででも拾える。簡単に命を放り出さないでくれ。いくら将来が不安だろうが、先行きの不透明さに震えようが、どん底に直面しようが、命を投げ出すことはしないでくれ。

 

では、この辺で。